コロナ禍のころ、東京を離れたくて、初めて湯河原に来た。当時の東京は、人が多く、緊張が強く、息をつく余白がほとんどなかった。湯河原は電車で来られる近さで、心と体をほどくには十分に遠かった。
最初は週末だけシェアハウスに泊まった。仕事は、草に埋もれて消えかけた放棄畑から始まった。刈り払うのは本当にきつかった。見違えるほどになった一角の先には、いつもまだ手つかずの土地があった。ビフォーアフターの写真を撮って満足して帰るような活動ではない。切って、運んで、掘って、また戻って続ける人が必要だった。
そこで竹の扱いを覚えた。長さを目で見積もり、測り、切り、割り、結び、組む。竹灯籠、格子、道具、小屋、ツリーハウス。景色の一部だった竹が、手でわかる素材になった。
いちばん覚えているのは、自分も建てるのを手伝ったツリーハウスに登った瞬間だ。落ち着いていて、少し誇らしかった。安全な週末を求めて来たはずが、自分たちでつくるまで存在しなかったものの中に座っていた。
2020年10月、週末は暮らしになった。シェアハウスに移り、2023年の終わりまでそこを拠点にした。湯河原で健康になった。体重が落ち、外で働き、安心して、役に立っていると感じ、幸せだった。
最後は仕事のために東京へ戻った。東京の機会は本物だ。ただ今のところ、湯河原の毎日に見合うものには出会っていない。
畑はまだ終わっていないし、自分もそうだ。湯河原がくれたのは、きれいに完結した変化ではない。本物の仕事、いい人たち、少し強くなった手、そして、いつの間にか家になっていた週末だった。
