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山歩きと冒険・第1回

湯河原・城山の歴史をたどる

湯河原駅の裏山・城山は、いつ築かれたか分からない城から名をとりました。土肥一族と1180年の頼朝の逃避行について記録が語ること、土塁や石仏の正体、そして言い伝えの石。三つの歴史を分けてたどります。

城山の山道の草地で、両手両足を広げて跳ぶ男性。背後に相模湾と海岸線、晴れた空が広がる

2021年12月30日、湯河原・城山の山道で。景色に思わずジャンプ。

写真: Matt Ketchum

駅の裏山

JR湯河原駅を出ると、ブロンズの武将が迎えてくれます。12世紀にこの一帯を治めた土肥実平です。銅像は、源頼朝の旗揚げから800年を記念して1981年4月に建てられました。その背後にそびえる山が、地元で城山と呼ばれる山です。山頂には土肥城の跡を示す碑が立っていますが、町自身が城が築かれた時期や規模は分かっていないと説明しています。年代の分からない城から名をとった山。歴史の話を始めるには、ちょうどいい場所です。

城山を越える道では、性格の違う三つの歴史が、数歩おきに入れ替わります。一つ目は文字に残る歴史です。1180年、戦に敗れた頼朝がこの山中を逃れたことが、鎌倉幕府の記録に書かれています。二つ目は目に見える遺構です。城の土塁や石仏は本物ですが、頼朝の時代よりずっと後のものです。三つ目は伝説です。頼朝の逃避行にちなむ岩や洞窟の言い伝えが、道のあちこちに残っています。三つを分けて歩いても、山の魅力は少しも減りません。むしろ立ち寄る場所ごとに面白さが増します。距離や所要時間、トイレの場所など道順については城山ハイキングガイドをどうぞ。この記事は、その道の裏にある物語です。

土肥の郷

土肥氏は、今の湯河原町と真鶴町にあたる土肥郷を本拠とした武士の一族です。一族の菩提寺である城願寺は、実平を桓武平氏の流れをくむ中村宗平の次男とし、早川庄の預所を務めた人物と紹介しています。のちに西国で勢力を伸ばす小早川氏の祖でもあります。一族の館「土肥館」は、今のJR湯河原駅付近、尾根の西寄りの山すそにあったと考えられています。駅前の銅像は、ほぼ本人が暮らした場所に立っているわけです。

土肥一族の足跡をいちばんよく感じられるのが、駅から歩いてすぐの城願寺です。寺は土肥館の持仏堂の跡に建ち、墓所には宝篋印塔や多重塔など数十基が並び、各種の形式と年代にまたがる関東有数のものとして、1955年11月1日に神奈川県の史跡になりました。鎌倉時代後期には五山十刹につぐ寺格の「諸山」に列せられましたが、土肥氏が追われて小田原北条氏の時代になると衰えました。境内のビャクシンは1939年に国の天然記念物に指定され、幹回りは約6メートル。町は推定樹齢800年としています。頼朝が旅立つ前に植えたという言い伝えもあります。境内の七騎堂には、頼朝と、ともに逃れた6人の武者像が安置されています。話はここから1180年へ進みます。

動画

映像で見る城願寺と五所神社

湯河原町観光課のチャンネルによる2分ほどの映像です。不動滝、五所神社、そして土肥一族の菩提寺・城願寺を訪ねます。

制作: 湯河原温泉観光(湯河原町観光課) ↗

治承4年8月、記録に残る逃避行

治承4年(1180年)8月17日(旧暦)、頼朝は北条時政や土肥実平らの助けを得て、平家打倒の兵を挙げました。鎌倉へ向かう途中、海沿いを少し北へ行った、今の小田原市の石橋山で敵に阻まれます。小田原市のデジタルアーカイブは、23日の夜、大庭景親の3,000余騎に急襲されたと記し、市の古戦場の案内も、頼朝方が10倍を超える軍勢に敗れたと伝えています。古戦場は湯河原ではなく小田原にあります。湯河原の山が舞台になるのは、この後です。

鎌倉幕府が編んだ歴史書『吾妻鏡』によると、敗れた頼朝は実平に導かれて土肥椙山に隠れました。追っ手はすぐそこまで迫ります。よく知られる場面では、平家方の梶原景時が頼朝の隠れ場所に気づきながら、わざと見逃しました。景時はのちに頼朝の側近となる人物です。頼朝はまた、髻(もとどり)の中から小さな観音像を取り出し、ある巌窟に置きました。観音像は後日、再び頼朝の手に戻ったと記されています。ここで気づいてほしいのは、記録が場所をほとんど特定していないことです。椙山という山の名はあっても、隠れた場所は「ある巌窟」としか書かれていません。今の山道にある具体的な場所は、どれも後の時代の比定と言い伝えによるものです。

逃避行は海で終わります。主従わずか7名となった頼朝は、実平が手配した小船で真鶴から安房国(今の千葉県南部)へ渡りました。数週間のうちに軍勢を立て直し、やがて鎌倉幕府を開きます。この逃避行は語り継がれる物語になりました。能の「七騎落」は今も演じられる人気の演目で、湯河原では毎年春、土肥祭の武者行列が出陣の様子を再現しています。

動画

土肥祭の武者行列

湯河原町観光課のチャンネルは、毎年4月第1日曜日の土肥祭・武者行列を、頼朝が石橋山の合戦へ出陣する様子を再現したパレードと紹介しています。

制作: 湯河原温泉観光(湯河原町観光課) ↗

窟はひとつか

城山の西側にあるしとどの窟を、湯河原町は『吾妻鏡』にいう「山中の岩屋」であり、軍記物語『源平盛衰記』に出てくる「しとどの窟」だとしています。神奈川県は1955年、この窟を「伝土肥椙山巌窟」として史跡に指定しました。頭の「伝」は「そう伝えられている」という意味です。この一文字は誠実です。言い伝えの上でこの窟である、というところまでが、言える限界だからです。行き方はしとどの窟のガイドにまとめています。

今、窟で目にするものは、頼朝より新しい時代のものです。窟の内外には20以上の石仏が並びますが、町によれば江戸時代、この地域の人たちが亡くなった近親者の供養として、長い年月をかけて奉納してきたものです。それより前から、窟は山岳信仰の修行の場でした。石仏群は1979年に町の文化財に指定されています。窟そのものは火山砕屑物の部分が削れてできた洞で、箱根と湯河原を含む周辺の町をエリアとする箱根ジオパークは、人の手が加わった可能性もあるとしています。石仏は亡き人のために置かれたものです。手をかけたり、触れたりせずに見てください。

しとどの窟を名乗るのは湯河原だけではありません。隣の真鶴町も、自町のしとどの窟を石橋山の合戦に敗れた頼朝が山中へ逃げた後、身を隠した場所として紹介しています。箱根ジオパークは、頼朝が房総半島へ渡るまでに、いくつかの洞窟に身を隠したという解釈を示しています。小田原市の案内も、頼朝が箱根の山中に逃れた後、真鶴から海路で安房へ向かったとしています。二つの町の窟は、張り合う関係というより、追い詰められた数日間の、二つの通過点と見るほうが自然です。

山頂に残る城の跡

城山の名の由来となった城は、山頂の尾根にあります。気づかずに通り過ぎてしまう人も多い遺構です。湯河原町は2004年に土肥城址を町の史跡に指定し、時代を室町時代から戦国時代、おおよそ15世紀から16世紀としています。尾根に沿って六つの郭が連なり、主郭から第6郭まで約36メートルの高低差を使って階段状につながっています。第6郭までで約240メートル、さらに外側の守りと考えられる堀切まで約150メートル、全長はおよそ390メートルに及びます。尾根を段々に下る平らな地面と、道を横切る深い溝を探してください。それが城の跡です。

つまり、今歩ける城跡は実平の時代より後のものです。湯河原温泉観光協会のコース案内は城を平安時代末期、つまり実平の時代のものとしていますが、史跡を指定した町は、残る遺構を室町から戦国の時代としています。1180年の時点で土肥氏がこの山に砦を構えていたかどうかは、分かっていません。山頂は開けた広場で、あじさいに囲まれた土肥城跡の石碑とあずまやがあります。晴れた日には相模湾をはじめ、伊豆半島、初島、大島まで見渡せます。山頂から城址までは険しい道が続くので、ゆっくり歩いてください。

物語のある石

山道にある二つの岩には、とりわけ親しまれている話が残っています。立石は、頼朝が自らの天下を占うために投げたと伝わる岩です。岩はまっすぐに立ち、それとともに運も開けた、という話です。兜石は、頼朝が石橋山の合戦に敗れて逃れる途中、兜を脱いで休んだと伝わる場所です。どちらも伝説ですが、よくできた伝説です。地元の殿様が、のちの将軍を救った一週間。町が語り継ぎたくなるのも分かります。湯河原町もそこは率直で、「鎌倉幕府開運街道」のコースは頼朝がたどった道のりの一説に基づくと明記しています。

歩くなら

城山のコースを全部歩くと一日がかりです。神奈川県が2026年3月に発行したコースマップは、歩行距離13.2キロ、高低差582.2メートル、歩行時間3時間58分としています。観光協会も健脚向きのコースと紹介しています。道順は城山ハイキングガイドに、下山後に温泉まで楽しむ一日は城山ハイキングと温泉の一日にまとめました。町は、ごみは持ち帰る、動植物は採らない、山歩きに合った靴を履く、暗くなる前に下山することを呼びかけています。山にはサル、イノシシ、ヘビもいます。道に迷う人が増えていると町も伝えているので、地図を持って歩いてください。

こうした話を知らなくても、城山からの眺めは楽しめます。それでも、自分がどの時代の上に立っているかが分かると、眺めはもっと深くなります。尾根は戦国の城、下の窟は江戸の人々の祈りの場、岩は町が愛する物語。そしてこの山のどこか、誰にも特定できない窟に、1180年の旧暦8月、敗れた大将が身を隠し、生き延びました。帰りは城願寺に寄って土肥一族の墓所を訪ね、一日の終わりは町を有名にしたお湯で。その湯にも長い物語があります。湯河原はどうして温泉町になったのかをあわせてどうぞ。晩秋には山が色づきます。見頃は紅葉ガイドで。

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