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エッセイ・歩く

必要だった湖

アプリが示したでたらめな地点を目指して、湯河原の山をひとりで歩き、名前も知らない湖で、必要だった時間を見つけた。

赤いチェックのシャツを着て、杉林の静かな池のほとりのベンチに座るマット

写真: Matt Ketchum

ある日、Randonauticaが、存在も知らなかった湖の方へ私を向かわせた。

アプリが出すのは、歩いて向かうでたらめな地点だけだ。見つけるのは自分だった。知らない道をたどって、ひとりで山へ入った。何が大事かを教えてくれる案内人も、どれだけいるべきかを決める予定もない。やがて水辺に着き、そのほとりに座った。

赤と黒のチェックのシャツを着て、そこで自分の写真を撮った。湖の名前は知らないし、地図の上で自信をもって指すこともできない。それでも記憶が薄れるわけではない。むしろ名前がないから、着いたときの感じがそのまま残っている。思いがけなくて、静かで、場所にラベルを貼って売るいつもの仕組みの外にあった。

そこに座って、今いるべき場所はここだと感じた。

その感覚は、自分で見つけたことから来ていた。歩くと決め、どこに着くかわからないまま進み、言葉にできなかった必要に応えてくれる場所を見つけた。価値や機会がどこにあるかを、東京の誰かに決めてもらったわけではなかった。

東京は私にはきつい。体重が増え、動かなくなり、気分が沈む。自然に触れるにも予定を立て、移動し、都会の都合の合間に押し込むしかない。湯河原では、外に出ればすぐ歩き始められた。道の先には山や水や畑があり、名前も知らない場所があった。

湖が人生を解決したわけではない。人生を解決しなくていい数時間をくれた。自分で見つけた水辺に座り、自分の方向感覚がいい場所へ連れてきてくれたのだと、そのときは信じられた。

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