場所の名前を知っていることと、町を歩いて案内できることは違う。
当時の恋人が湯河原に来たとき、私はそこで築いた暮らしから生まれた一日を用意できた。車で畑に上がり、彼女は山羊と鶏に会った。観光客のためにいる動物ではない。私が働き、学び、知り合いと時間を過ごしてきた場所の一部だった。
五所神社に寄り、幕山公園を歩き、ジムでボルダリングをした。彼女がいちばん楽しんだのは散歩とクライミングだった。初夏の涼しい日で、夕方には空が晴れ、気持ちのいい風が町を抜けていた。夕食はサルーテで、最後はKADOYAでビールを飲んだ。
どの場所も、立派である必要はなかった。大事だったのは、それをどうつなぐかを知っていたことだ。どこまで車で行き、どこを歩き、どこで食べ、最後にどこでくつろぐか。町に知り合いもいた。誰かがつくった名所リストをなぞらずに、町を動けた。
それが誇らしかった。
初めて湯河原に来たころは、ほかの人たちが道を示してくれた。畑の仕事に加えてくれ、一人では見つけられない場所へ車で連れていき、知っておくべきだと思う町の一面を見せてくれた。そのうち、すべてを紹介してもらう必要はなくなった。自分の知識、習慣、友だち、好きな場所ができて、それを使って、誰かにいい一日を過ごしてもらえるようになった。
彼女を案内したことで、東京ではうまく伝わらない自分の一面も見せられたと思う。ここでは、ただ訪ねているのでも、次の仕事の機会を待っているのでもなかった。まわりのことを知っていた。指させる仕事があり、挨拶する人がいて、本当に好きだから選ぶ場所があった。
動物から神社へ、公園からクライミングへ、夕食から最後の一杯へ。忙しい一日だったが、旅程をこなすような一日ではなかった。知識を見せびらかしていたのではない。暮らしを分け合っていた。
誰かを迎え入れられたこと。それが、湯河原が家になったいちばんの証拠かもしれない。ほかの人たちが私のために町を開いてくれた。今度は、私が案内する番だった。
