日の出を見るために、わざと早起きしていた。
シェアハウスの3階のバルコニーからは、谷いっぱいに湯河原の町が見えた。暗い稜線が町を囲み、谷は海に向かって開けている。夜明け前、家々はまだ半分影の中だ。やがて海の上に太陽が昇り、オレンジ色の光が水面に広がっていく。
同じ朝は一度もなかった。晴れて金色の朝もあれば、雲の下の青灰色の朝もある。毎回が劇的だったから続けたのではない。外に出れば毎朝、町全体が光を待っている姿が見られた。だから続けた。
そのころ、大切に思う人が東京に住んでいた。日の出を撮り、写真の上に手書きでメッセージを入れて送った。離れていても、バルコニーの美しさを分け合えた。一度だけ、彼女が泊まりに来た朝、一緒に日の出を見た。
写真に残っているのは空と海だが、覚えているのは起きて外に出たことだ。一日の始まりに立ち会うと、自分で決めた。光が海を渡り、まだ影の残る町へ届くのを見た。天気や色や谷の形に気づくようになった。毎朝そこにあって、決して同じにはならなかったからだ。
シェアハウスは完璧からはほど遠かった。共同生活は散らかりもするし難しくもあり、建物の手入れも行き届いていなかった。バルコニーがそれを解決したわけではない。ただ、その上に開けていた。
だからこそ、あの景色が大切だったのだと思う。建物が理想的でなくても、人を思い、よく見て、美しいもので一日を始められる場所はある。暮らしが整うのを待たずに、湯河原はいいものを差し出してくれた。
